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ゴーキ美術研究所:絵画の形、色彩、調和の研究  

形(デッサン)

デッサンは絵画、建築、彫刻、工芸、デザイン等全ての造形芸術の基礎です。更に入間の全ての行為や仕事の計画であり根本であるともいえます。

「芸術家の仕事はデッサンに始まり、デッサンに終わる」と言われているようにデッサンは一生涯の支柱です。造形制作からいえばデッサンは形の研究です。形(の皮相な模倣)ではなく、形の美的表現的な「見方」です。いくら部分を集積してみても全体をとらえることはできません。全体を見て全体から描き出し、部分に至り細部を仕上げるようにします。全体をとらえるには集中力を養うことが必要です。よく初心者は対象物の皮相の模倣的描写から始めるものです。それでも画面と対象物との関係を全体から割り出して構図を決め位置を定めなければ、それ以上先へ制作を進めることはできません。

描写から構築へと向かいます。空間の中における対象の立体の主要な面の方向性を強烈に決断しなければなりません。浅い広がりではなく、奥行と深さをとらえる「眼」の練習が肝要です。全体から分析して対象の物体を構成する主要な面をとらえ、それを組み立てて総合します。面を表現するものは形(線)と調子です。調子は光があって成り立ちます。調子は黒から白に至る明度の階段をもっています。単なる明暗、陰陽ではありません。無彩色と呼ばれる白と黒の素材を用いても対象から「色彩」を感覚することが大切です。低い調子の鈍い明暗ではなく明度、色相、彩度、質感の全てを含んだ高い輝く調子(ヴァルール)で対象物を表現することが大切です。

以上のようなデッサンにおける、点・線・面・量の造形要素を用いた物の見方と表現方法と技法を学習します。

美術史的には東洋美術の高い精神性(たとえば中国宋元期や日本室町期の絵画の線)と、西洋美術の物質表現、立体表現、科学性の両方を研究し、総合します。更にアフリカ、南北アメリカ等地球各地の原始からの美術を取り入れます。

色 彩

人間にとって色彩は世界の存在の感覚的情緒的顕現といえます。人間の体にたとえるならば、デッサンは骨格であり抽象であり、色彩は表皮や筋肉であり生命であるといえましょう。しかし色彩が皮相に流れ、軽薄な感覚的遊戯に落ち込んではなりません。色彩は世界の根源の生命を表現するものでなければなりません。日本の現在の数多の色彩作品並びに色彩教育は、自然の生命の根源から離れ、又感動や感覚と法則と理論との科学的方法を欠いています。

自然の存在の色彩は主に明度、色相、彩度、質感から成り立っています。

色彩は「対比」の関係を学ぶことが大切です。対比には明度対比、補色対比、寒暖対比等があります。豊富な「色相」に基づく個々の色の正確な識別と、「対比」による調整が、特に日本人の美術作品と美術教育に欠けているものであり、この能力を養成し高めることが、学習の主要な目標のひとつとするところです。

形、色彩、調和

形と色彩は個別に研究されるものではなく、同時的に相関においてなされるものです。

形態の完成度と色彩の充実度は、常に一致するものであることを目標とします。宇宙的調和的一致、「形」、「色彩」、「調和」の完成が、太古から現代に至る人間の造形芸術活動の真の目的と言えます。

素 材

油彩画、水彩画、日本画、デザイン等の素材は、今日画材店へ行けば豊富にあり、どんな素材も買いそろえることができます。しかし、素材の物質の物理的、化学的な知識がなく、主観と感情だけでわがままに制作しても、客観的真実と美はほとんど表現することは出来ません。素材の物質に関する基礎的初歩的な物理的、化学的知識を得ることはぜひとも必要なことです。それによって、知識がなかったときよりはるかに美の表現力は高まります。

一例をあげれば、油絵の具の「黄」のカドミウム・イエローとオーレオリンとでは隠蔽力、被覆力、着色力が随分異なります。「赤」のローズ・マダーと力ドミウム・レッド、「青」のウルトラマリンとセルリアンーブルー、「緑」のビリジャンとコバルトグリーンも同様です。溶き油にしても、ペトロール、テレピン、リンシード、ポピーのオイルはそれぞれの特性が異なります。

このように、もろもろの素材についての知識と用い方を正しく学びます。

紙、キャンパス、溶き油、油絵具、筆等の、それぞれの正しい知識を先ず最初に学び身につけることが是非とも必要です。水彩画、日本画等においても同様なのは言うまでもありません。

 

「正しい形(デッサン)」「正しい色彩」「正しい素材」を学ぶことによって、全ての人が優れた美しい作品をつくることを念じています。