南禅寺での制作三十年。
南禅寺での制作三十年。
孤独の道。沈潜。五里霧中の努力。苦行。
宗教的真理の真髄は、人間の罪悪の故に
佛の悲願は人間を救う。
…私は今後も自分自身を見失うことなく、偉大な永遠な自然の中で、全力をつくして制作に励む決心である。欲を捨て質素に、真実の道を歩み抜こうと願う。世俗に妥協せず、気骨をもって絵画の本道を歩み通す覚悟である。
南禅寺が建立された目的は、自己の善根のためではなく、衆生を利するための悲願であるといはれている。私にとって、芸道の先師との邂逅の真実の意義は、宗教的真理の神髄は、人間の罪悪の故に佛の悲願は人間を救う、ということにある。先師によって開眼し、佛の実在を知り、真実の自己に目覚め、一切衆生は、本来佛性に輝く尊い個性をもつ生命であることに目覚めたことの、恩に報いるために、衆生と偕に生き、聖なる芸術の寺院を建立するために挺身しなければならない。
菩提心をおこすと云ふは、己れいまだわたらざる先きに一切衆生をわたさんと発願しいとむなり、そのかたちいやしと云ふも、この心を発せばすでに一切衆生の導師なり。
道元
如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし、師主知識の恩徳も、ほねをくだきても謝すべし。
親鸞
セザンヌ序論より 1979年(44歳)