芸術の二大方向の力の綜合。
芸術の二大方向の力――神的・佛的・アポロ的・ロゴス的・アガペー的・真的・知性的・絶対の自己的なものと、人類的・野獣的・ディオニゾス的・パトス的・エロス的・善的・情熱的・生命エネルギー的なもの――の相反し対立する両者を綜合し世界全体を立体的に再創造するという、途方もない執拗な願望の絶え間ない長い歩み。
1992 春
私は前述の芸術の二大方向の巨匠・天才達の間を彷徨した。
そうして私はこの両方の巨匠・天才達を、自分の芸術と人生の中で、行為として実践しようと欲したのである。
…片方だけになったり、二者択一的になってはならないと思ってきた。なぜならそれは世界の立体の片面しか見ないことであり、平面的な狭い思想や人生観や世界観しか持てなくなることだからである。
神的、佛的なものと人類的なものの相克、葛藤、克服の弁証法的進展が、芸術の創造活動の内部で行われているのである。綜合することは、明治以後の日本の芸術家や思想家の多くが出来なかったことである。一方を鋭くとらえても、他方をなおざりにしている。
大多数の今日までの日本の芸術家や思想家には、自然の実在の生命に直面したときの神的、佛的感覚と、人類的感覚の両方がない。求心力と遠心力、地と天、肉体と精神、そのダイナミックな表現がない。
自然の実在の生命を凝視し直覚した時の個性的感動、本能、情熱が芸術創造の引導力と根源力である。これが人格性の固定化と、観念化を防ぐものである。
日本人の多くは、自然と神・佛と人類の関係を、実在感のある生きた思想として自分のものにしていない。