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五、 神・佛への愛をもって修道。 神・佛に通ずる純真な霊的な心を持ち通した神童の宗教家と芸術家達に生涯に亘って習うことのすすめ。

初心忘るべからず。

少年の日再び来たらず、光陰矢の如し、歳月人を待たず。

 各人が幼少年の心、純粋な故郷の画想(画因)をもちつづけ、すべからく絵画のための人生を。
 人間にとって最も幸せなことは、一生涯を貫き通す仕事をもつことである。

 絵画は職業ではなく天職である。生涯の無償、無名の行為である。

 
 
 
 
                                                         

神・佛の教えに従う純真清浄な心。

もろもろの悪をなすなかれ。
もろもろの善を奉行すべし。
自らその意を浄めよ。
これ諸仏の教えなり。

衆生本具の一心。 自性清浄心。

         釈迦(佛典)。

心の清い人々は幸なり。その人達は神を見るであろう。

心を入れかえて、幼子のようにならなければ、天国に入ることはできない。

         イエス(聖書)。

 
 
 
 
 

一筋の道。制限の中の努力。狭い門。

芸術家は外面を見ず、自己と自然の内面のみを見つめ掘り下げ深める。
一筋の道。多くのものを求めず、一つのものを探究する。
自らに制限を課し、制限の中で努力する。

摩訶止観。観法即画法。
一念三千。一即一切、一切即一。瞬間即永遠、永遠即瞬間。
一隅を照らす。
道心ある人、是れ則ち国宝なり。

                 最澄(佛典 天台教学)。

狭い門より入れ。
滅びにいたる門は広く、その道も広く、そこから入る者が多い。
命に通じる門は狭く、その道も細い。それを見いだす者は少ない。

                 イエス(聖書)。

思うことが謙遜でありたい。
言うことが謙遜でありたい。
行うことが謙遜でありたい。
謙遜とは自己否定の沼に咲いた蓮の花である。

贖罪と救済。
自己否定とは人が永遠の霊において純真となる変化(回心)
に他ならない。

 
 
 
 
 

青年シッダールタ(釈迦)とイエス。

       
 釈迦もイエスも二十代〜三十代の体力、生命力、霊力、精神力が最も強烈で充実した年令の時に最高の仕事をした。
 若々しい創造力がある全身全霊の行為であった。
 生命と霊と力の根源は自然の存在であった。
 自然の存在は言葉ではない。存在自体である。言葉で表現出来ないものだ。
 沈黙(無言)の中の行為であるから、言葉を文字にして書くことをしなかった。

 釈迦、孔子、老子、ソクラテス、イエスは、言葉にならないものを、弟子達に伝授した。

 弟子たる者は、沈黙し、瞑想し、佛・法・僧の三宝に帰依し、戒・定・慧の修行に努め励め。
                    釈迦

 弟子たる者は、沈黙し、瞑想し、神を愛し、隣人を愛し、父(神)と子(神人)と聖霊の名において祈り修道せよ。    
 
                    イエス
 

 
 
 
 
 
 

短命の純粋な天才達に傾倒し、生涯尊崇し敬愛し続ける。
幼少年の純真な心を持ち通した神童の宗教家と芸術家達に生涯に亘って習う。

 シッダールタがブツダになったのは三十五歳といわれている。
 イエス・キリストは三十三歳で十字架にかけられて亡くなっている。
 モーツァルトは三十代に最高の作品を作り三十五歳で没している。
 ゴッホは全てを燃焼して三十六歳で世を去っている。
 短命の純粋な天才達に傾倒し、生涯尊崇し敬愛し続ける。

 たとい七歳の童子なりとも我れより勝ならば我れ彼れに問うべし。たとへ百歳の翁なりとも我れより劣ならば我れ彼れに教うべし

                         道元
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 

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