私は芸術について、軽々しく口先で語り、文章を書く人間ではない。物識りの饒舌なインテリ学者達から遠い無学者である。
私が世を深く思い憂い、文学者でない私が苦労して文章を書き、装飾を離れて真実を重々しい口調で語り、またそうしなければならないのは、以下に書く理由からである。
一、現代の芸術は、――芸術のみならず宗教や学問の社会の文化全般についても言えると思うが――今、此処の現実における精神の創造の烈火と力がなく、オリジナリティー(独創性)を欠き、柔弱なエピゴーネン(亜流)である。
二、太陽の熱と光と、地球の大地から湧き出る霊力、生命力がなく死んでいる。
三、自然の尊厳な裸形の存在の生命を探究する剛直な意志がない。
四、科学の技術によるヴァーチャル、リアリティー(架想現実)化に毒されて、リアリティー(現実感)を喪失している。
五、自然の実在がなければ、太古からの人類の健康な芸術の創造行為は存在しないのであるが、現代はこの自然の実在に直接に対面し接触して仕事をすることの、根本と源泉を喪失し、技巧や概念の遊戯に陥っている、本然の芸術の頽廃と不毛の時代である。
六、形骸化し芸術のための芸術、宗教のための宗教になってしまい、本来の芸術と宗教一体の無限の創造力と生命力がある、人間のためのものではなくなっている。
七、現実から逃避し、真実を凝視せず、虚偽に妥協追従し、自己と社会と時代を変革する意志と勇気と行動力がない。
八、善と真理と慈悲と寛容の哲学と理想を、力強く明確に芸術作品で表現し、それを社会の大衆と共にあるものにする実践がない。
九、精神の価値の創造がない物質文明の人類の行為は、宇宙の法の根本と中心から外れている。
2011