芸術家は眼、耳、手、足など体の各部分ではなく、眼で聴き、耳で見、筆でなく素手を用い、素足で大地に立ち、全身全霊、全存在をもって、自然の風景の現場で、日々刻々の制作に没頭するのである。
芸術家に制作意欲を起させるものは、尊厳な神秘な永遠な自然に直接に対面した時に自然から受ける感動と驚嘆であり、畏敬と愛の念である。自然天地の無限の生命力と霊力に対応する、芸術家の気稟と資性と独得の創造的情熱である。
地球という星に、たとへ人類が存在していなくても、大自然・宇宙は存在している。人類は永遠な大自然の中の本の一部であり、有限な微少な短い命の存在であり、無数の生物の中の一つであるに過ぎない。しかるに、その人類が科学技術によって大自然を征服せんとして地球の環境を破壊し、多くの生物を絶滅させ、人間同士を殺し合っている。萬物の霊長どころか、全ての生物、動物の中で最も悪い、傲慢な排他闘争的存在である。
自然の諸々の存在の生命を差別せず平等に価値あるものと見て、尊び敬い愛し、争わず平和に共生する存在に、人類が心を入れかえて(回心して)生まれ変わることが大切である。
大自然は人間がつくったものにあらず。人間は人間がつくったものにあらず。自分は自分のものにあらず。人間の計らいや力を超越した大自然の無限の強烈な生命の力の根源から生まれ、その力の働きに依って支えられ、生かされて在るものである。そうして大自然の永遠の生命の大慈悲・大愛(大生命力の熱と光の恩恵)の源へと、自然に帰って往くものである。死は死ではない、在りのままに在るものである。