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開会式スピーチ 木村重信

木村重信 氏
兵庫県立近代美術館館長、美術史家

 

遠藤剛熈美術館開館記念
開会式 スピーチ

木村重信

 遠藤さん、おめでとうございます。
私が予想していたよりも立派に出来まして、少し驚いています。今、粟津さんとも「立派ですなぁ」というような言葉を交わしていたんですけども。
 ところで徒然草というのがありますが、兼好法師が書いたんですが、彼がこんなことを言っているんですね。「よき細工は古き鈍き刀を用いる」。つまりよい細工というのは、いい作品というものは少し鈍い刀を使うんだと。これはなかなか含蓄のある言葉というふうに思うんですけども。つまり切れすぎてもだめだ、そして鈍いのはもちろんだめだというわけですね。少し鈍き刀を用いる。これはある意味で遠藤さんの画業にあてはまるんじゃないかというふうに思いますけども 。
 ところで、ものの見方というのには二つございまして、ごく簡単です。遠くから見るか、近くから見るか、どちらかです。ここには裸婦であるとか、この樹とかがありまして、あまり風景はありませんが あの辺に風景がございますが 。まあ風景を見る場合、遠くから見ますと一瞥のもとに対象の全体を見渡せるんですね。ところが近くから見ますと、その対象の一部分しか目に入りませんから、ですから部分から部分へと目を動かさなくちゃならん。そのように成立するのが、その「遠像」「近像」という美学用語でいう、遠くから見た像、つまり遠視眼的な見方で成立した図像というものと、近視眼的な見方によって成立した図像というものです。
 遠藤さんの場合は徹底的に近像でして、もちろん奥行というものはあるんです。あの風景でもありますが。しかし前景も中景も遠景も あのデッサンですけども、同じ強さのですね、同じ大きさの、そして同じ濃さのですね、油絵の場合で言ったら絵具で描かれてる お隣の部屋にありますけども、徹底的に近像的です。ゴッホもある意味でそうなんですけども。そのことによってですね、この風景には、何かむせかえるような、そういう趣がありますし、こういう裸婦なんかでもむっとするような、そういう趣があります。つまりこの対象と人間というものは別の存在ですけども、何かこの遠藤さんの性格というものは、自然あるいは対象というものを、第三者的に、傍観者的に眺めるんじゃなくて、何かこの対象とひとつになろうという、そういうようなところでして、そのことが特にデッサンにおけるあの強さだろうというふうに思います。
 先程のお話で、1500点ということですけども、とにかくその真摯に、その近像的表現というものを実にやっておられまして、こういう形で美術館が出来ましたことを、心からお祝い申し上げます。そして遠藤さんのますますのご活躍をお祈りします。失礼しました。

     (2000年11月23日 遠藤剛熈美術館にて収録)

 
 
 
 
 
 

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