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本来の美術館と美術学校


 古来から東洋においても西洋においても、美術館と美術学校は寺院や教会の中にあった。
 そこは大自然(の永遠の真実と生命・神・法)を最大の師とし、歴史上の大宗教家・大芸術家達を模範とする、出家者の共同生活の修道の場であった。
 このことにおいて、文学(教学、哲学、詩等)と音楽と美術は一つのものであった。
このことのために美術(建築、彫刻、絵画、工芸等)の作品がつくられた。
 写神、写佛するようにデッサン=基礎の修業が行われた。
 精神の偉大さを欠く物質文明に追従する現在の美術社会――美術集団(画壇等)や、美術学校(大学等)――は、本当のデッサンを全く喪失しています。
 現在の美術社会は、大自然を最大の師とし、歴史上の大宗教家・大芸術家を模範とする、修道が全く無くなっています。
 無思想、無理想、無信仰の廃墟のようです。
 このような精神的頽廃と混迷の危機的な現在に、大自然を最大の師とし、大宗教家・大芸術家達を模範とする、自己教育と、精神伝統、古典の継承と、新たな宗教と芸術の創造が肝要です。


                                                                          

 日本の中世の大思想家、宗教者にとって、佛法と自然の風景の詩と絵画と音楽は一つでした。

  「草も木も枯れたる野辺にただひとり、松のみのこる弥陀の本願。」      
                       法然

  「峰の色谿の響もみなながら、我釈迦牟尼の声と姿と。」       
                       道元

 
 
 
 
 
  

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